意志と心と身体の在り処

先日3DSを購入して、キングダムハーツを始めた。これがすごく今の心理状況に近い世界設定で、思うことがあったので書き留めておきたい。

キングダムハーツは様々なディズニー世界の持つ「心」を集合し具現化されるものという設定である。人々には心と精神+体が備わり、心が失われて具現化されるとハートレスに、その抜け殻がノーバディとなる。ハートレスは根源的な欲望から人々の心を欲しがるので襲うが、ノーバディは感情を持たないので人だった頃の知識を使って組織的論理的に人間を襲う。その目的はキングダムハーツを手に入れる事である。

私は最近「精神+社会活動」と「心+身体=肉親」のギャップに苦しんでおります。

この1年留年している間に実に様々な分野から知識を仕入れ、それらの堺を無くす事、そこから生まれるアイデアについて可能性を見出してキュレーション活動をしてきた。キュレーションってのはまぁTwitterFacebookにWeb上の記事を載せる事だけどwその中で特に、文化人類学・SNS・建築を複合した思想として、SNS社会論・比較文化論と題して分析を始めた。津田大介氏のTwitter社会論や東浩紀氏の一般意志2.0からも大きな影響を受けての取り組みでもある。これを話すと外で出会う大人世代(=いずれの時点でも自分の親にあたる代)は皆喜んでくれて、私が最も嬉しい言葉「面白いね」と言ってくださる。大物だねと言ってくださる。これがひとつの社会活動における現実として、しかし実態を持たずに精神として存在している。

一方で親にそれは分からない。年収1000万円を超えるビジネスマンは殆どがFacebookとLinkedInをやってるにも関わらず分からない。そして大企業に入って欲しいと言う訳だ。雇ってもらえと言うのだ。この発想が古いとか、何か反抗期的議論を展開するつもりはないが、少なくとも私個人を見ていないとは言えるのではないか。中国から日本にやってきた第一世代として苦労したのは分かるが、ならば子どもも苦労しろ、ではなく楽しんでくれ、ではないのか?ずっと彼らの教育を子供側から批判してきたが、今回ようやく伝わったらしい。伝わったというか自分から言い出したので、ずっと言ってきたじゃないかと確認しただけだが。とにかく生活が出来るのか?と聞かれる。勿論悩んではいるしそこをあまり理解出来てないのも事実ではある。しかし働くとは、人のために価値を提供する事だというのには間違いはないだろう。そもそもそれで初めてお金を得られるのだと思う。まぁ生活で楽をして欲しいのかもしれないがそれだけは古いと言いたい(猪瀬副都知事によれば"江戸時代と戦後日本はディズニーランド化している")。極めつけは「別に留学しても就職してもいいし応援するが結論を早く聞かせろ」である。ここに議論の成果が上がるのか?報告にメリットがあるのか?大人として扱われない以上心の置き場に納得出来ない。

つまり心を置く器としての身体=肉親と、社会活動を支える意志=精神が噛み合わず、まさにふわふわしている。その背景にはまさにディズニーランド化した教育があり、私はその中でぬくぬくと甘えて育ったのだ。自立しろと言葉で言われて育つ子どもはいない。これからは精神の上に立って、肉親から離れなければ心は保てないのではないかと思う。そこで報告の意義を問いたい。私は家畜として育ったのか?しばらく精神が保てそうにないので、こころのままに堕落している。

時期が来たら精神に心を置いて、活発に活動してみるつもりである。留学に関する調査としては、独学できないもの(努力を担保してほしいもの)としては語学とビジネス感があると思うので、それが学べる大学院を知りたい。また、これまでの活動を理解してくれる成功者と出会いたい。「理解されないんだ」というような言い方はイヤだが、現状それしか仕方がない。

ではしばし3Dの箱に没入してくる。