進路・生存ご報告ヽ(´ー`)ノ

前回の報告以降また色々色々ありすぎたので、もう随分なにやってるヤツなのかわからない方も多いかと思いますwのでまとめておきますねん!

 
 
端的に言うと、
→単位足りなくて留年
→院試受かったけど手続き不備で入学出来ず突然の既卒ニート
→インターンしながらウェブベンチャーへ普通のシューカツ。
→内定頂き受理。5つプロジェクト掛け持ちしてフリーランスを継続。
→ほぼニート2年目だけど何とかなるもんだなと実感w周りにつらそうな人がいたらお話しますのでぜひ連絡くださいw
 
って感じです。詳細は以下。学期末お会いできた方には大体話せたかと思いますので、読み飛ばして頂いておk!
 
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【これまで】
学部4年で卒論まで終了。
数学の単位とか院試とか失敗してたのでやり直し。
学部5年で仁史研ゼミに在籍。
中谷研「家の根本義ゼミ」
小劇場研究会
ウェブサービスプロジェクト立ち上げなど云々かんぬん。
大学院は人間科 学研究科に合格。
しかし入学手続き不備で進学ができなくなる
卒業単位不安などで書類を読み違ってしまった次第です。
毎年数人いて、研究室のM1も2人の予定がなんとゼロに…。
残念だったし、また辛かったです。
そんなこんなで卒業してしまって既卒ニートに。
すぐにウェブサービス会社にてinternship開始(LoungeNote)
エンジニアの予定が、気付いたら企画を色々やっていて、多くのことを学びました。
並行して既卒新卒のいわゆるシューカツを開始し、殆どウェブベンチャーだけ受ける。
人に会うことや情報収集などはめげずに続ける。
【いま】
某ベンチャー社に内定を頂き、受理する。
結局受けたのは7社とか?面接下手すぎて今後も不安ですw業界研究も足りてない。。
会社はセプ テーニ・ホールディングス。
ウェブ広告業界3位でしたが、自社サービス立ち上げを推進している会社です。
気に入って頂いてるというお話も頂き、新規事業のディレクターとかする予定です。
ほぼニート2年目だけど何とかなるもんだなと実感w
周りにつらそうな人がいたらお話しますのでぜひ連絡ください笑
現在やっているプロジェクトはFacebookプロフィールに書いてます。ので割愛。
ウェブサービス・内装/不動産・人と人が出会うイベントを信じて頑張ってます。
【これから】
ウェブベンチャーでしばらく働こうと思っています。
最終学歴は学部卒だし、もうちょっとデザインとかMBAとか取りに行くのも有りです。
投資とか建築とか人に会う事とかも継続したい。
日々学びですね!
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長くなりましたがお付き合いいただきありがとうございます。
稚拙な文章で申し訳ない!
また一人ひとり語らいたいですね!今後ともよろしくお願い致します!
 
ししょう

3月の読書メーター(読書は全部このサイトで管理する…予定w)

3月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:701ページ
ナイス数:0ナイス

ゼロから始める都市型狩猟採集生活ゼロから始める都市型狩猟採集生活
正直今和次郎の域を出ず全く残念だと思う。コンビニのゴミを都市の幸として採集することを推奨して都市の見方を変えた事は面白く、都市生活者は捨てる神、路上生活者は拾う神という価値観には驚いた。しかしただ実存的にそれをやろうなんてのはどうかと。今和次郎でいう戦後バラックを路上で作って売っているだけなのだから、思想がそこにはない。要するにゼロから始め「ない」事にすればいい。そういったパレート改善的な作品に昇華すれば、満足して楽しく読める気がする。
読了日:03月25日 著者:坂口 恭平


暇と退屈の倫理学暇と退屈の倫理学
哲学者の否定でがんじがらめで答えを出せなくなり拡散したフラグを回収しきれない感があるのは自分が未熟ゆえか?とにかく退屈する人類の歴史の先端にいることを味わえた。結論まで読まないとすごい暗いwモリスやドゥルーズがひとつの答えなのだろう。綺麗にまとめよう→ダイヤグラム
読了日:03月24日 著者:國分 功一郎


はじめてのニーチェ (1時間で読める超入門シリーズ)はじめてのニーチェ (1時間で読める超入門シリーズ)

ニーチェの名言集みたいのを先に読まなくて良かった。本当に軽く且つ重く読める素敵な本。これからどこまで没入しようかと迷う。笑

読了日:03月21日 著者:適菜 収

2012年3月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

意志と心と身体の在り処

先日3DSを購入して、キングダムハーツを始めた。これがすごく今の心理状況に近い世界設定で、思うことがあったので書き留めておきたい。

キングダムハーツは様々なディズニー世界の持つ「心」を集合し具現化されるものという設定である。人々には心と精神+体が備わり、心が失われて具現化されるとハートレスに、その抜け殻がノーバディとなる。ハートレスは根源的な欲望から人々の心を欲しがるので襲うが、ノーバディは感情を持たないので人だった頃の知識を使って組織的論理的に人間を襲う。その目的はキングダムハーツを手に入れる事である。

私は最近「精神+社会活動」と「心+身体=肉親」のギャップに苦しんでおります。

この1年留年している間に実に様々な分野から知識を仕入れ、それらの堺を無くす事、そこから生まれるアイデアについて可能性を見出してキュレーション活動をしてきた。キュレーションってのはまぁTwitterFacebookにWeb上の記事を載せる事だけどwその中で特に、文化人類学・SNS・建築を複合した思想として、SNS社会論・比較文化論と題して分析を始めた。津田大介氏のTwitter社会論や東浩紀氏の一般意志2.0からも大きな影響を受けての取り組みでもある。これを話すと外で出会う大人世代(=いずれの時点でも自分の親にあたる代)は皆喜んでくれて、私が最も嬉しい言葉「面白いね」と言ってくださる。大物だねと言ってくださる。これがひとつの社会活動における現実として、しかし実態を持たずに精神として存在している。

一方で親にそれは分からない。年収1000万円を超えるビジネスマンは殆どがFacebookとLinkedInをやってるにも関わらず分からない。そして大企業に入って欲しいと言う訳だ。雇ってもらえと言うのだ。この発想が古いとか、何か反抗期的議論を展開するつもりはないが、少なくとも私個人を見ていないとは言えるのではないか。中国から日本にやってきた第一世代として苦労したのは分かるが、ならば子どもも苦労しろ、ではなく楽しんでくれ、ではないのか?ずっと彼らの教育を子供側から批判してきたが、今回ようやく伝わったらしい。伝わったというか自分から言い出したので、ずっと言ってきたじゃないかと確認しただけだが。とにかく生活が出来るのか?と聞かれる。勿論悩んではいるしそこをあまり理解出来てないのも事実ではある。しかし働くとは、人のために価値を提供する事だというのには間違いはないだろう。そもそもそれで初めてお金を得られるのだと思う。まぁ生活で楽をして欲しいのかもしれないがそれだけは古いと言いたい(猪瀬副都知事によれば"江戸時代と戦後日本はディズニーランド化している")。極めつけは「別に留学しても就職してもいいし応援するが結論を早く聞かせろ」である。ここに議論の成果が上がるのか?報告にメリットがあるのか?大人として扱われない以上心の置き場に納得出来ない。

つまり心を置く器としての身体=肉親と、社会活動を支える意志=精神が噛み合わず、まさにふわふわしている。その背景にはまさにディズニーランド化した教育があり、私はその中でぬくぬくと甘えて育ったのだ。自立しろと言葉で言われて育つ子どもはいない。これからは精神の上に立って、肉親から離れなければ心は保てないのではないかと思う。そこで報告の意義を問いたい。私は家畜として育ったのか?しばらく精神が保てそうにないので、こころのままに堕落している。

時期が来たら精神に心を置いて、活発に活動してみるつもりである。留学に関する調査としては、独学できないもの(努力を担保してほしいもの)としては語学とビジネス感があると思うので、それが学べる大学院を知りたい。また、これまでの活動を理解してくれる成功者と出会いたい。「理解されないんだ」というような言い方はイヤだが、現状それしか仕方がない。

ではしばし3Dの箱に没入してくる。

人生を考える事を考えない事。

初めてブログを書く。もともとmixiTwitterではうるさい方で、よく書きものをするのが好きだった。今はTwitterの居心地が良い。しかし流れて行ってはならない思考があると考えた。それを記録することから始めたい。

目に停めて頂き感謝致します。今日は身の上話をひとつ。

2011留年が決まった冬。大学院に合格した秋。

2012卒業が決まった冬。大学院合格が取り消された春。

まずはこの事件についてお話します。勿論匿名で。とかく大学の入試制度とはすごく厳密なもので、1日足りとも手続きが遅れてはならず、また例外はない。その事を教わった。当然そんな事教わっても何のためにもならず、そしてこの時期に今までのすべてが0になった。私は高校から附属に通い、留年を含めて8年通った訳ですが、何もかも。きっと大学の制度で死人が出てもおかしくないと思うし、事実優秀な博士課程の人も同じミスで取り消しにあったのだとか。勿論平等を喫すためには仕方ないことだと、割りきれてもいる。(追記:挫折のたびに何を学んだか、面接では話すべきと友達に聞いた。なので今回は、指差し確認を学ん?だのかなんなのか。はうぅ。)

言うまでもなく私に非があります。それについてとても凹んだ。普段からルーズなところが、ついにやらかした訳だ。理由には他にもいくつか挙げられ、卒業が可能かどうかすごく不安だったこと、父への経済的負担がどこまでも膨らむ可能性、学部の費用と新研究科への授業料の申し込みなどの心理的負担から、書類を読み違える結果に至る。

何人か心を許す友や恩人に話し、結果から言うと、大学院に通うには歳を取り過ぎた事、既卒での就活も悪くないらしい事、誰もが日々凹みながらも前に進んでいる事を改めて教わり、救われたというよりは、「生きるんだ」と強く思った。そこでタイトルに戻る。

また補足すると、これが分かった日にバイトをクビになっている。笑 もう笑えるのかよくわからないが、病院の当直のアルバイトで「接遇がなってない」と言われた。よくよく調べてみたらこれはどうやら愛想が悪いといったニュアンスだったようで、確かに思い当たる節(顔?)がある。そうだ、手続きも愛想も出来ない非社会的人類なのだと、落ち込んでみた。笑

生きる意味?

我々はよく「なぜ生きてるのか」と考えるタイミングがあるかと思う。少なくとも身の回りではよく聞くし、悩みの帰着点になりがちだと思う。しかしこれは18世紀から19世紀頃普及したロマン主義的思考であると、最近読んでた哲学書(※)に書かれていた。詳しくは各々で調べて頂きたいが、重要なのはこれ以前には啓蒙主義によって人類の平等が説かれ、共同体が信じられていたが、それに対する反動によって「人と違うんだ!」「自分らしさを探すんだ!」といった思想が広がったのだという事だ。これは現代の我々にも息づいているように思う。そして個性を探索することは、答えの見つからない事であり、答えの見つからないように出来ている構造であり、つまりは満足し得ない思想に陥っている事がわかる。※國分功一郎氏「暇と退屈の倫理学」p64,65より

では問題はこういった発想に至った場合、どう考えを転換するか?である。私の答えは至極単純で「生きるために生きてる」って思う事にしたんです。正直マズローのような図は真に重要ではなく、生きる事そのものの自己実現こそが現実に存在するという事ですね。きっとこれでも救われない人が多くいると思う。なぜなら私は人に褒めていただける経験を偶然にも持っている。これが正直いま生きようと思うモチベーションのひとつには間違いない。そもそも生きる自己実現とほめられる事の自己実現が重なっているようなのである。あるいは内側から沸き上がるようなモチベーションではなく、外部から引っ張られるようなタイプではある。それにしてもひとつの答えである。その論拠はいくつかあるのだが(消費社会と浪費の違い、モチベーションにおけるマスタリー)、長くなるし疲れたし一回目だしこれくらいにしておきます。笑

限られた選択肢は①博士課程にまで進む②-1就職活動をする(既卒扱い)②-2就職活動する(既卒で新卒枠扱い)がある。この先はもう少し親と協議しながらも、就活にシフトすると思います。最初っからヘビーな話題ですがw書評というか、読みながら思うことを書き溜めたりすると思います。ではでは〜。